WENさんのblog

Twitterでは伝えきれないことを書きます。閲覧は自己責任でお願いします。

初恋の人(かなり長文です)

小学から中学までの間、俺は笑わない人だった

まったく笑わなかった訳では無いのだが、今よりかなり少なかったと思う

そんな俺の基盤、今の俺を作った人、笑顔の大切さを教えてくれて、夢を叶えることなく去った、愛すべき馬鹿の話をしよう

 

小学6年生の後半から、俺は塾に通い始めた

職員は2人、バイト3人という、とても小さな塾だった

そんな塾で俺は、中学受験のための勉強をしたり、授業の復習をしたりしていた

人との関わりが嫌いで、一人でいた

俺の事なんか誰も知らない、そう思っていた

でもあの子は覚えていた

2回くらい児童館で遊んだ程度のことを

リンと言う名前の、平凡な名前のよく笑うあの子

まるで、誰かの分まで笑っているようなリンの顔を見ていると、俺は辛かった

何があっても泣かなかったあの子

「気持ちが悪い」「うざい」「早く死ねば」そう言われ続けた彼女

でも泣かないし、辛いとも言わなかった

「それであの人たちがスッキリするなら、それでいいかな」と彼女は笑った

そんな彼女といつから付き合い始めたのか、厳密なことは覚えていない

そもそも付き合っていたのかも曖昧だった

そんな感じの関係は、中学になっても変わらなかった

中学二年の夏、夏期講習の休み時間に彼女は、俺の机の上にとある高校のパンフレットを乗せてこういった

「ここに行こ?」

当時の俺にとって、少し難しいランクの受験校、聞けばつい最近共学になった元女子校で、コースによってはまだ女子しかいないような学校らしい

彼女は制服のスカートを翻しながら、いたずらっぽく笑いながら言ったのを今でも鮮明に覚えている

「いくら私でも、浮気は許さないからね?」

 

彼女の助けもあって、何とか模試判定Aまで持っていった

お互いそんなに頭は良くなかったが、出来るもんだな、と馬鹿みたいに2人で納得していたりした

ある日彼女の夢を聞いた

彼女は即答した

「みんなを笑顔にすること。誰もが笑えるような世界が一番幸せでしょ?そのためにまず君を一番笑顔にして、一番幸せにするのが私の夢なのだ!」

迷いのないその言葉に、俺はその夢の「難しさ」を理解しようとしなかった

 

高校受験当日、2人で行くと決めていた高校に2人で行った

まぁ、何となく行ける気がしていた俺は、自己採点でも充分合格範囲に届いていた

帰り、彼女はいなかった

先に帰ったのだと思って、あまり気にすることなく俺も帰った

その日からB日程第2志望の高校受験日まで、連絡は一切なかった

第2志望受験日当日の早朝、彼女から電話が来た

たった一言だけの電話

「辛いよ」

初めて聞いた彼女のSOS

どれだけ辛かったのか、苦しかったのか、その一言を聞かなくても明白だった

ずっと見てきた

ずっとそばにいた

誰よりもわかっていた

でも俺は受験を優先せざるを得なかった

誰もが『そうしただろう』

でも俺は『そうするべきではなかった』

 

その日からずっと今に至るまで、その子からの連絡は一切ない

どれだけ待っても来ないことを知っている

彼女はその日に自殺したのだから

1ヶ月くらい、だったか、ずっと塞ぎ込んだ

泣いて、悔やんで、理由を考えて、また泣いて

救えなかった現実を受け止めきれずに

泣き疲れて寝て、目が覚めて、彼女がいないことを思い出してまた泣いて

泣き続けて、生きることすら放棄していた

 

そんなある日、パソコンにリンからメールが来ていたのに気付いた

これもたった一言、日付は死んだ日

「夢を叶えたかった」

いらなかったよ、そんなの

叶えなくてもよかったんだよ

だって居るだけでよかったんだから

それ以外、いらなかったよ、何も

明るく振る舞う声

みんなの幸せを願う夢

下手くそな歌

何よりも、お前の笑顔が好きだった

俺の愛すべき馬鹿

たった一つしかなかった宝物

同じ高校じゃなくても、それは変わらなかったんだよ

 

夢を継ぐことが、俺にとって今やりたいこと

叶えられずに逝ってしまった夢、願い

一瞬だけでも叶えられるように

お前の幼なじみのレイジと榮川

お前が唯一親友と呼んだ零奈

みんなでこれからも前に進むよ

だからもう少しだけ待っていて欲しい

俺たちにできる範囲の小さなことだけど、叶えるその日まで

 

それが俺の、原点(オリジン)です